ーーー料理人を志したきっかけを教えていただけますか?
何か特別なきっかけがあったわけではなく、小さい頃から料理人になりたいと思っていたんですよ。周りの友達はケーキ屋さんやサッカー選手になりたいと言うじゃないですか。僕はそれが「料理人になりたい」だったんです。あまり勉強が得意ではなく、図工などの物作りが好きな子どもでした。親の料理もよく手伝っていて、その度に褒められるのが嬉しかったからかもしれませんね。勉強で褒められることはなかったですから(笑)。
母が僕の作った料理を「おいしい」と言って笑顔で食べてくれると、子供心にやっぱり嬉しくて。本当はそこまでおいしくなかったと思うんですよ、小学1〜2年生くらいの子どもが作る料理ですから。ただ、そうした子どもの頃の「嬉しい」や、作っていて「楽しい」というシンプルでポジティブな感情が、そのまま料理人の道へと進む理由に繋がっていったと思います。
ーーー子供の頃の夢を叶えられたんですね。料理人になるまでの経歴をお聞かせください。
高校を卒業後、辻調理師専門学校に入学しました。専門学校では、フレンチなどの西洋料理・中華料理・日本料理と様々なジャンルの料理を勉強するのですが、僕は魚を捌くことに一番魅力を感じました。単純に捌いていると楽しくて、「もっと魚に詳しくなりたい、魚を多く取り扱えるジャンルが良い!」と考えるようになりました。
辻調理師専門学校はフランス校があることもあり、西洋料理がとにかく人気です。本場でフレンチの勉強ができる留学制度も整っていて、学生の半数以上がフランス料理を専攻していました。その中で、僕が「寿司をやりたい」と言うと先生方にも驚かれましたね。当時、寿司といえばやはり東京で、関西は日本料理が主流だったこともあると思います。それでも僕の強い想いを訴えると、先生から【鮨処 平野】を紹介していただけることになり、本格的に寿司の修行を始めることができました。
ーーー【鮨処 平野】の後、懐石料理【御料理 はた田】にも修行で入られています。日本料理にも興味が出てきたのですか?
修行中は多くの店に勉強として食べに伺いましたが、中でも【御料理 はた田】の料理はとてもおいしくて感銘を受けたんです。【鮨処 平野】の卒業後は【日本橋蛎殻町 すぎた】にお世話になることが決まっていたので、東京に行く前の3ヶ月間だけでも勉強させてほしいと僕からお願いしました。
寿司屋でも一品料理を提供するので、その一環で勉強したかったんです。元々【御料理 はた田】の大将には可愛がってもらっていたのですが、さらに僕の我儘を快く受け入れてくださったことは今でも感謝しています。
ーーー佐々様はまず、中国で独立開業されていますね。
そうですね。【日本橋蛎殻町 すぎた】を卒業した後、最初にシアトルへ渡米しました。専門学校時代に仲の良かったシアトル出身の友人がいたのですが、彼が先にシアトルへ戻って自分の店を経営していたんです。「いつか一緒に店をやろう」と約束していたので、その夢を叶えるために渡米することにしました。
しかし、全然うまくいきませんでしたね。シアトルは日本人から見ると大都市のようなイメージがありますが、当時の人口は60万人ほど(現在:約75万人)。日本でいうと一地方くらいの規模なんです。さらに、僕は【鮨処 平野】や【日本橋蛎殻町 すぎた】のような本格的な江戸前寿司をやりたかったけれど、時代や文化的にもなかなか受け入れられませんでした。例えて言うと、カリフォルニアロールみたいなものを出さないと、お客様は入ってくれない状況です。自分が思い描いている方向性とは違うし、これでは修行した意味がないと感じて当時は苦しかったですね。
結局、友人とも話し合って、店は4ヶ月で辞めることにしました。そのとき、【鮨処 平野】時代の兄弟子が上海で店をやっていて、一緒に働かないかと声を掛けてくれたんです。僕は日本に帰って開業することも考えたのですが、「海外へ行く!」と啖呵を切って出てきた手前、4ヶ月で帰国したら格好つかないなという思いもあり(笑)、思い切って今度は上海へ渡ることにしました。
ーーー上海へ行ってからは、いかがでしたか?
上海は当時バブル最盛期で、非常に景気が良い時代でした。資本力のある投資家がたくさんいて、投資先を常に探しているお金持ちが多かったんです。兄弟子の寿司屋も繁盛していたし、一緒に働く僕にも引き抜きの話や独立の誘いがたくさんありました。兄弟子の後押しもあり、半年も経たないうちに自分の店を出す流れになったのですが、中国は法律も文化も日本とは大違いで…それはもう苦労の連続でしたね(笑)。
ーーー具体的に、どういった苦労がありましたか?
まずは営業許可を取ることがとにかく大変です。飲食店においては中華料理を出すための法律になっているので、日本料理をやろうと思うとたくさんのハードルがあるんです。刺身を出そうと思えば刺身室が必要で、冷製品を出そうと思うと冷菜室が必要。ガスを引くなら消化扉が必要だし、そもそもカウンターという文化がないので生もの(刺身)を出せない、など。一つ一つライセンスを取っていると、オープンまで半年〜一年はかかってしまいます。
また、食材の品質を担保できず、取り扱える鮮魚にも限りがありました。自分の理想とする江戸前寿司を出すのは難しいと思い、茶懐石料理の中に寿司を2〜3貫出すスタイルにしましたね。そのうち人脈が広がり、鮮度の良い魚を仕入れられるようにもなりましたが、当初は手探りの中、苦労と工夫を重ねて何とか店を軌道に乗せていく感じでした。
ーーー苦労しながらも8年間、中国で日本料理屋を経営されています。やりがいを感じることや楽しいこともあったのでは?
やはり経営者として自分の店ができたので、責任が大きい分やりがいもありました。中国では寿司も人気があったので、修行の成果を発揮しながら工夫を重ね、オリジナリティーを追及できたことも良かったと思います。繁盛していたことで店も移転しながらどんどん大きくできて、最終的にはワンフロアに3つのジャンルの店をオープンすることもできました。面倒な営業許可証も、ワンフロアならライセンスは一つでOKだと学びまして(笑)。制限のある中でいかに創意工夫し、より良いものにしていくかを考える経験は、異国ならではの学びでもあり楽しかったかもしれませんね。
ーーー帰国して【日本料理 佐々】をオープンされたきっかけは何だったのでしょうか?
いつかは日本で勝負したいとずっと思っていたので、タイミングを計っていました。現在、同じフロアで営業している【鮨 陸】のオーナーシェフの戸田陸さんは、【日本橋蛎殻町 すぎた】の修行時代の先輩です。陸さんも僕と同じく海外でお店をされていたのですが、「日本で一緒に何かおもしろいことをやらないか?」と声を掛けてくださいました。陸さんは尊敬する先輩ですし、いつかは日本でやりたいと思っていた僕にとって本当にありがたいお話でしたね。その頃には、上海の3店舗も人材が育ってそれぞれ任せられる状態にもなっていたため、このタイミングで帰国し【日本料理 佐々】をオープンすることに決めました。
ーーー【日本料理 佐々】での食材のこだわりについて教えてください。
当店のこだわりはまず昆布です。日本の三大昆布といえば「真昆布・利尻昆布・羅臼昆布」といわれていますが、僕は北海道産の真昆布を使っています。どちらかというと利尻昆布を使っている料理屋が多く、利尻の人気が先行しているイメージがありますよね。しかし、日本昆布協会の基準でいうと、実は真昆布が一番評価が高いんです。
江戸時代の北前船(※江戸時代から明治時代にかけて大阪と北海道を結んでいた商船)が、利尻昆布は京都、羅臼昆布は福井、そして真昆布は当時一番栄えていた大阪へと納められていました。時代が流れて、日本料理といえば「京料理」という風潮になったため、京料理で使われている利尻昆布も人気になった。そんな時代背景が今に繋がっているという話なんです。結局は、その土地に代々伝わる文化が影響しているんですよね。僕は北海道の川汲浜(かっくみはま)で獲れる天然の真昆布を仕入れているのですが、この昆布が獲れなくなったら日本料理をやめよう!と思うくらい、使用する昆布にはこだわっています。
ーーーそれぞれの昆布について、どのような味わいの違いがあるのでしょうか?
真昆布と利尻昆布は旨味成分量がほぼ同じです。ただ利尻昆布の方が塩分濃度が少し高い。旨味成分でいうと、羅臼昆布は真昆布や利尻昆布の2倍あるのですが、色に濁りがあるため、ラーメンやおでんなどに使われることが多いですね。あくまで僕個人の考えですが、真昆布は全てにおいて綺麗なんです。雑味が少なくクリアな味わいで、透明感がある。そして何より力強い昆布の旨味と香りが「美しい」ところが魅力だと思っています。
ーーー看板料理の「胡麻豆腐」についても詳しく聞かせていただきたいです。
胡麻豆腐は、胡麻と葛と昆布だけで作る非常にシンプルな料理です。日本料理の中で誰もが知っている定番料理ですし、日本料理の料理人なら誰しも作ったことがあるでしょう。ただ、食材も味付けもシンプルがゆえに特別目立つ料理ではない。そんな胡麻豆腐を、僕が「特別おいしい胡麻豆腐」に昇華させたら面白いんじゃないかなと思いました。
僕は出来立てにこだわるので、胡麻も毎日炒っています。お昼の仕込みに炒って絞った胡麻を営業の一時間前に練り、葛で固めていくんです。お客様にお出しするのは1時間20分後くらいなので、ちょうどよく冷えた状態で一番おいしい瞬間をお客様に提供できます。
あと特徴的なのは雲丹ですね。雲丹はお寿司で食べるイメージが強く、お寿司以上においしい食べ方を考えるのが難しい食材でもあります。本来、胡麻豆腐には鰹や昆布出汁に味醂と醤油で味付けした旨出汁(割り醤油)を合わせるのが主流ですが、それだと鰹が邪魔して昆布の魅力を出し切れない。そこで僕は昆布水を寒天で固めたジュレを合わせることにしました。また、雲丹は昆布を食べて育ちます。だから昆布の香りがするし、胡麻豆腐と非常に相性が良いんですよ。
正直、オリジナリティーを出すために創作することは簡単だと思います。でも僕は日本料理をやっている限り、なるべく創作料理はしたくない。古来から伝わる伝統的な料理をリスペクトし、王道を極めた先に僕独自の新しい料理が生み出せたらいいと思っています。そういった意味でも、この胡麻豆腐は昆布にこだわる【日本料理 佐々】ならではの料理として、当店のシグネチャーディッシュともいえる一品ではないでしょうか。
ーーー他にも食材でこだわっていることはございますか?
僕の地元である兵庫県から魚を仕入れていることです。魚といえばやはり豊洲が有名ですが、全国から東京に送られてきた魚には、生きたまま送られて弱っている魚もいるし海水が変わってストレスがかかった魚もいます。魚はとにかくストレスのかかっていないものが一番おいしいので、何かベストな仕入れ方法はないかと模索していました。
そんなとき、地元で魚屋をやっている高校時代の同級生と縁があり、相談したところトントン拍子に話が進みました。今では毎朝10時に締めた魚を、航空便でその日の午後に着くよう送ってもらっています。本当に新鮮な状態で届きますし、同級生というよしみで融通を利かせてくれて、ありがたいですね。淡路や明石の魚を使うことは、地元産業への貢献になって僕も嬉しいですし、お客様にもストーリーとして話しやすくて盛り上がる。良いこと尽くしで感謝しています。
ーーー今後の展望や挑戦したいことはありますか?
まだオープンしたばかりなので、まずは10年間ほど腰を据えて頑張るつもりです。当店が料理を愛するお客様に愛される店になれるよう、そして自分も名が知れた料理人になれるよう、しばらくは東京で精進しようと思っています。
その先の話ではありますが、いずれはオーベルジュのような料理旅館をすることも目標です。滋賀県にある【徳山鮓】さんは、発酵料理を追及したオーベルジュを開業し、日本におけるオーベルジュの先駆けのような存在になりました。実は修業時代に15回ほど訪れていて、大将にも大変お世話になっているんですよ。漁へ連れていってもらったり、一緒に山菜を摘んだりする中で、「これが料理人として最高の境地だな」と思うようになりました。まだまだ先の話ですが、最終的には憧れの徳山さんのような料理人生活を送ることが理想です。そのためには、より一層今を頑張らなければなりませんね。
ーーー最後に、佐々様にとっての「おいしい」とは?
「おいしい」はすごく抽象的ですよね。経験や文化によっても変わるし、人によって「おいしい」を感じる段階があるとも思います。例えば、ハンバーガーやピザは誰が食べてもすぐに「おいしい」と思いますが、昆布水を飲んでおいしいと思う人は少ない。つまり、日本料理の持つ滋味深い味わいを「おいしい」と感じることはまた別で、すぐに感じる「おいしさ」だけでは測りきれない。結局、「おいしい」は経験と文化に左右されるものなんです。
ただ「出来立てのおいしさ」に関しては、経験や文化に関わらず誰もがおいしいと思う瞬間だと思います。天ぷらは揚げたてが一番おいしいし、寿司も握りたてが一番おいしい。だから僕は作り置きした料理は出さないですし、その日に仕入れた食材の一番おいしい瞬間をお客様に提供すると決めています。これからも食材が一番活きる瞬間を通して、お客様に【日本料理 佐々】自慢の「おいしい」を届けていきたいです。
【日本料理 佐々】で使用している真昆布の収穫量が、年々減少している状況に危機感を感じているという佐々氏。「良い食材が獲れなければ、料理のクオリティを保つことも難しくなる。便利な世の中に発展するのもありがたいことだけれど、日本の伝統や良い文化を残していく努力も大事だと思う」と語る佐々氏に、日本料理への深い敬愛と自然や伝統を尊ぶ強い意思を感じた。中国での経験を糧に、満を持して【日本料理 佐々】をオープンした佐々悠樹氏の、今後の活躍に目が離せない。
取材・文/いしげ まやこ
撮影/眞田 厚司
Le 13 décembre 2024, 'Cuisine japonaise Sasa' a ouvert ses portes à Hiroo, Tokyo. Tout en brisant les conventions du kaiseki traditionnel, nous proposons une nouvelle cuisine japonaise qui hérite de l'esprit créatif et met en avant les saveurs naturelles. En nous appuyant sur des techniques japonaises, nous superposons subtilement l'esthétique occidentale et la vitalité chinoise pour créer des plats adaptés à Tokyo d'aujourd'hui. Nous nous engageons à respecter la saisonnalité quotidienne et à vous offrir le meilleur du jour en 'omakase'.